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すすむのHuman-rights Diary
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「日々是人権」
人の生き様を考えながら、定年後の日々を綴ります。
もちろん、旅の報告もね。
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国公法ビラ弾圧堀越事件に画期的無罪判決

2010/03/29 16:40
3月29日、東京高裁は国公法ビラ弾圧堀越事件にたして逆転の画期的無罪判決を出しました。
堀越事件は2003年11月、社会保険事務所に勤務する堀越さんが職場とは離れた自宅近くで「しんぶん赤旗」号外を配布したことを、国家公務員法違反として、逮捕・起訴された事件です。
その後、地裁の審理の中で、長期にわたって公安警察が堀越さんの行動を違法な尾行・盗撮していたことがわかりました。しかし、一審判決は国家公務員の中立性を侵害していなかったと認めながら、罰金10万円(執行猶予付き)の有罪判決を出してきました。
高裁控訴審の中で、公安警察の尾行・盗聴は違法捜査であること。国家公務員が休日に勤務とは無関係に行うビラ配布は行政に影響するものではないこと。また、国家公務員の政治活動の禁止は国際人権規約違反であり、世界の民主主義の常識から遅れた恥ずべきものであることを明らかにしてきました。
今回の無罪判決は当然とはいえ、今日の司法の流れの中では、画期的なことです。
おめでとう。堀越さん




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沖田国賠訴訟 再び最高裁に挑む

2010/02/27 23:27
2月27日、「沖田国賠支援のつどい」が開かれました。会場は120人以上の参加者でうめつくされ、昨年11月26日の高裁での不当な差戻審判決(控訴棄却)に対する支援者の怒りが結集した集会となりました。
 当日は「裁判官はなぜ誤るのか」の著者でもある秋山賢三元裁判官が「痴漢冤罪のたたかいと沖田国賠訴訟」と題して特別講演をおこない、吉田健一弁護士が「11・26判決徹底批判と再上告の意義」をわかりやすく話されました。
秋山元裁判官

 秋山元裁判官は痴漢冤罪とのたたかいのこれまでの歩みを振り返りながら、沖田事件の再度の上告審をたたかう意義を強調し、沖田さんと支援者、弁護団がこれまで以上にたたかいの輪を広げて世論に訴える活動をすれば勝利の可能性は充分にあると参加者を励ましました。また、吉田弁護士は差戻審判決を完膚なきまでに批判する論調を展開し、これほど矛盾した判決に対しては迷いなく上告してたたかうことの意義を強調しました。
 さらに、当日は畑田重夫さんをはじめ、私たちが今後たたかいを進めていく上で貴重は発言がありました。
沖田さん自身も力強く上告審をたたかう決意を表明しました。
 以下は誰もが感ずることを感想的に述べてみます。
 差戻審では「沖田さんには痴漢行為はなかったというべきである」と述べています。(電車内で女性の携帯電話の相手男性の証人尋問がおこなわれましたが、男性の供述は沖田さんの主張と一致していました)
つまり、沖田さんの潔白を裁判官も認めたわけです。
そうだとするなら、常識的には女性が虚偽の申告をしたことになることは誰が考えても当然の帰結のはずです。
ところが、裁判官は女性の虚偽の申告を認めることは今後被害を受けた女性が被害申告をしにくくなると女性の虚偽申告を免罪し、事実上黙認する判決を出してしまったことになります。
これほど次元の低い判決が高裁でなされるとは「まさか」といった感じを持たざるを得ません。
 私は「沖田国賠訴訟に勝利し、警察・検察をただす会」の世話人の一人として、裁判官がおよそ世間の常識からかけ離れている人物が多いことを改めて知らされた以上、裁判官をもただすという気概で、油断することなく上告審に向けて気を引き締めた活動を展開する決意を固めたいと思います。
 2月4日には弁護団が上告理由書を提出しました。当面はこの上告理由書を最高裁に受理させるたたかいとなります。救援会会員の皆さんのご支援を心からお願いいたします(国民救援会国分寺支部ニュースから転載)



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田中正造を現代に生かすシンポジウム

2010/02/14 23:16
栃木県佐野市で開かれた「田中正造を現代に生かすシンポジウム」に行ってきた
一昨年に次いで2回目だ
今回は少し早めに家を出て田中正造ゆかりの地をいくつか訪ねた

その1 生家跡とお墓

生家は前の道の拡幅事業が進み後ろに移動し、
その時大きく変形させられてしまった 文化財だというのに


生家にある勝海舟から送られた書と正造の書


道を挟んで生家の前にある正造のお墓


その2 田中家の菩提寺 浄蓮寺入口
毎年、ここで正造の法要が営まれるそうだ



その3 地蔵堂跡
正造が明治のはじめにここの地蔵堂で手習いの師匠をしていた お堂はもうない

お地蔵さん 正造も拝んでいたのかな


今回行った佐野ラーメンのお店



さて、本題に
15回目の今年のテーマは「『韓国併合』100年と『坂の上の雲』」

田中正造の時代
「韓国併合」=朝鮮の植民地化が進められた「富国強兵」の時代
自由民権運動が弾圧され、秩父困民党が蜂起、潰滅する時代
大逆事件が起き、社会主義者たちを牢屋に閉じ込め、処刑した時代
国策の足尾銅山で鉱毒被害が生まれた時代

谷中の農民は兵隊にとられ、帰ってきたら家はなく、村は遊水池に
そんな農民たちを見るにつけ、朝鮮の人民と谷中の農民とを重ね合わせ
「思うに、朝鮮人またかくの如きかを想いては涙降らざるを得ず」と詠う正造
一方で、司馬遼太郎の「坂の上の雲」では日露戦争を「日本を守るための戦争」と位置づけ
輝ける明治の誇りとしている(NHKのドラマは原作に忠実に、庶民の暮らしに目をそむけ、栄光の明治を描いている)
朝鮮人民や谷中の農民に心を痛める正造と
輝ける明治を三人の青年の目から描いた司馬遼太郎
今回のテーマはこんな対比で構成されていました

詩吟のなかで紹介された正造の言葉
『ああ、日露戦争中、谷中よりも37人の現役あり。その兵士の留守中に田宅を奪わずとも、せめては旅順の降参人ほどの扱いはあってしかるべし。予は泣いて、日露の貧民に代わりて、両国の義人に訴うるものなり』

布川・記念館館長は田山花袋、徳富蘆花、長塚節などの明治の文豪たちが明治の闇の部分を描いていることを紹介し、現実の明治は「坂道を上れない人々」であふれていたと指摘した

中塚・奈良大学教授は「明治の栄光とゆがんだ朝鮮観」が私たちのなかに沈澱していることに触れて、「歴史を正しく見る力をつけよう」と話された
「日本軍による東学党農民軍討伐」・・・ 新しい勉強課題ができた
韓国の人達は皆知ってるらしい 日本の歴史教育では習わないと言っていた


追伸:司馬遼太郎はこの作品『坂の上の雲』を映像化することをかたくなに拒否していたと云われている
明治を一方からのみ描いたこの作品を映像化する人たちの狙いを見てとっていたんだと、私は思う



前回の正造シンポジウムのブログ
http://susumu2006.at.webry.info/200803/article_1.html

正造の映画「赤貧洗うがごとき」のこと
http://susumu2006.at.webry.info/200608/article_17.html

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プラネタリウム見学

2010/02/05 17:58
国分寺ひかり公民館の星の講座で一緒になった人たちが
「ひかり・星の会」という連絡会をつくった
今回は府中郷土の森のプラネタリウム見学です
以前に一度見たような気がするけど
プログラムのはじめは現在時点の星の観測です
オリオン座と冬の大三角、ふたご座にスバルにおうし座などなど
冬の星座の説明です
プラネタリウムでは南の空にカノープスが光っていた
カノープスはシリウスに次ぐ明るい星だ
でも実際の東京の冬空でカノープス観測に挑戦したが
地平線の明かりのせいか見ることができない
次のプログラムは暗黒星雲のお話
天の川(我々の銀河)の星のない黒い地域
なんで?
星の生まれる地域だそうで、電波望遠鏡では星の産声が聞こえるんだって
う〜ん よくわからん
まあ、宇宙の不思議はまだまだたくさんあって・・・・


講師の大金先生がホームページを立ち上げてくれました
記録が残せて、いいですね
http://homepage2.nifty.com/h-ao/hoshinokai.html




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3シーズンぶりのスキー

2010/02/05 17:28
去年は腰痛で、おととしは? 何しろ、3シーズンぶりのスキーです
地元、年金者組合のスキー(くまげらスキークラブ)に同行
先行で前泊、4泊5日のスキーは初めての経験です
今までは、金曜に出発、日曜日帰りの一泊半だったからね
今回は日曜日発、木曜日着、場所は越後湯沢
年金者ならではの日程だね
初日は神立、天候は雪、時折吹雪状態、山頂は視界が悪い
そして、寒い、こんな時はなんでスキーなんてやるんだろいうって思うね
翌日は仲間が午後到着予定なので、近くの湯沢高原スキー場で

天気はよく、湯沢の山々がよく見える 黄色いヤッケはくまげらの意匠




午後から、仲間が到着し、合流
まあ、後はお決まりの夜の宴会が延々と続く
3日目はナスパスキー場 天候は雪、そして夜はまた、宴会
最終日は午前中湯沢高原スキー場へ
年金者のみなさん、元気だわ


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個人通報制度の実現を!

2010/01/15 18:16
 日本弁護士会が主催した「今こそ個人通報制度の実現を!大集会」が去る1月15日、日比谷公会堂で開かれ、国分寺支部から3名が参加しました。
集会には社民党党首・福島大臣をはじめ、民主、公明、共産各党の代表が参加し、挨拶しました。

挨拶する福島大臣


 個人通報制度では差別や人権を侵害された個人が最高裁まで訴えても、受け入れられなかった場合、国連に訴えて救済を求めることができます。
 日本は自由権規約、女性差別撤廃条約、拷問禁止条約、人種差別条約などを締結していますが、いずれもそれに付随する個人通報制度は批准していません。
 個人通報制度が批准されれば、葛飾の荒川さんや大分の大石市議が、国連に「ビラ配布しただけで、犯罪とは納得できない」と申し出ることができます。
集会でも荒川さんは「批准されたら真っ先に個人通報制度を活用します」と話されました。
 まさに、個々の問題を個人通報制度で取り上げることは、遅れた日本の人権感覚を国際標準に押し上げるための重要な一歩です。
集会には女性差別NGO、布川事件の桜井さん(刑事手続き)、立川自衛隊官舎事件の洞口さん(表現の自由)の報告もありました。
 「今こそ、批准を」の期待高まる集会でした。(国分寺救援新聞から転載)

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宝登山の蝋梅

2010/01/11 16:52
1月11日埼玉 長瀞の宝登山に行ってきました
久しぶりの車でのお出かけでした
当然お目当ては、蝋梅です


蝋梅の林 蝋梅の下は香りに満ちて


青い空に黄色の蝋梅が映えます


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初詣しました

2010/01/05 13:08
謹賀新年
いただきものの手作りの箸袋


2日に鎌倉に行きました
季節限定電車となったホリデー快速で西国分寺から鎌倉へ
乗り換えなしで便利だね
途中、鶴見あたりで、箱根マラソンのランナーを待っている沿道の人垣が見えた
さて、鎌倉八幡宮はさぞかし混んでるのではと思いきや
混雑なしで、参拝できました






長谷寺と大仏さまもお参りして快晴の元、鎌倉散策を満喫しました
抜けるような青空と堂々とした大仏様


今年はスカッと行きたいね


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布川事件 最高裁で再審決定

2009/12/17 23:31
いよいよ、再審開始決定になりました
久々の朗報です
2005年の地裁、昨年の高裁に続いて、最高裁が再審を決めました
事件の内容はこれまでもたびたび書いてきたが、
自白だけが唯一の証拠で、その自白の信用性が大きく揺らいだため、
今回の決定になった
それにしても、昨年の時点で特別抗告しなければ、
再審が始まっていたのに
高裁で検察が反論ができないところまで、追い込まれたというのに
検察は再審を遅らせるだけの特別抗告をしたが
やはり再審への道は止められなかった
再審では検察の証拠隠し、ねつ造、録音テープの改ざんなど事件を作り上げた
警察、検察の悪行の数々を暴いてもらいたものだ

今年11月20日の 名張、布川事件支援集会での桜井さんと杉山さん


土浦支部での無罪判決は間違いないと思うが、そのあと検察が控訴するのか、
そんなこと、許されないと思うが・・・・・
早く、無実の人を無実だと言ってやってくれ!!



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沖田国賠訴訟に高裁不当判決

2009/11/26 16:42
11月26日、高裁判決が出されました。
判決は一審の「痴漢行為があった」とする判断は誤りである。「痴漢行為をしたと認めることはできない」と言いながら、「女性が虚偽申告行為を行ったと認めるには十分とはいえず、不法行為の立証が尽くされたとはいえない」として、控訴棄却となった。痴漢行為がなかったのに、女性がウソを言ったとはいえないとは呆れた判決だ。
それにしても、「痴漢行為はなかった」と言わせるのに10年もかかるとは。
だいたい、逮捕されてから、検察が事件の立証、すなわち沖田さんが痴漢をしたという立証が出来ないから起訴できなかったわけで、国賠訴訟の一審で、逮捕当時の調書を間違って破棄していなければ、もし、破棄してしまったというならば、最高裁の言うように、携帯電話の相手を証人に呼んで、話を聞けばよかったじゃあないの・・・
証人請求しているのに隠しておいて、10年も経っているから電話の相手の男性の「証言には記憶の欠落や確からしさなど限界もあるから、痴漢行為がなかったと断定し得るとまでは言えない」
おいおい、何言ってんだよ、差し戻し審で明確に言ってたでしょ。「電車の中で電話をするんじゃない」は聞こえたけど、「変なことしておいて何言ってんのよ」という女の声は聞こえなかったし、そのような話の流れになってなかったと。


最高裁で、『警察・検察の責任は問えない、損害賠償請求は棄却する』としておいて、高裁に差し戻して、女だけに責任負わせようとしたのに、こんな曖昧で、白黒つけない、逃げの判決を出したら、最高裁も怒るんじゃない。


判決後の報告集会で「多くの痴漢冤罪事件の被告の皆さんのためにもこんな判決は許せない」と訴える沖田さん

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百目柿

2009/10/10 12:05
我が家の狭い庭の隅に植わってる百目柿
今年は20ヶほど実がついた
先日の台風18号の強風にも負けず
しっかりとしがみついていた
ぷよぷよになった 1ヶを収穫した (50匁=200g)
“ヘタの方を切ってスプーンですくって食べる”とネットに書いてあったので
そのようにして、恐る恐る一口食べる、渋くな〜い
まあまあな甘さ、食べ進むにつれて、甘さが増してくる
先っぽの方はすごく甘い

百匁柿とも言うだけあって大型だ

他のは もう少し経ってから収穫か

実のなった1年目(去年)のブログ
http://susumu2006.at.webry.info/200810/index.html




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中東三ヶ国の旅 シリア編 その3

2009/10/08 16:30
10月16日 9日目  世界遺産 5 古都アレッポ

まずは、考古学博物館に入ります


世界最古にして、中東最大のアレッポのスーク(市場)見学
中東お決まりの香辛料のお店


他にも金銀細工、絨毯、衣料品、食料品などの店が並ぶ
総延長は12kmにもなるそうだ


岩山の上に建つアレッポ城 石橋から入る

城内


アレッポ城から見たアレッポの市内


風邪と下痢、旅行中最悪の日、ツアーの人に「冷えピタ」をもらった


旧市街のレストランでのアレッポの昼食
ケバブはうまかった、少し元気が出た



昼食後、今日の宿泊地、シリア東部の町デル・エゾールに向かう
途中ユーフラテス川の人工湖 大統領の名前を付けたアサド湖で休憩
ユーフラテス川はトルコを源としているので、トルコ内のダムで止水されると、水量が一気に減って、紛争の種になるとか、なったとか 我田引水か!
いまは満々と水を湛えていた

子供たちが寄って来た


さらに寄って来た


デル・エゾールで泊り

10月17日 10日目  マリ遺跡
イラクとの国境まであと15kmのところまで来ました
誤爆されませんように
さて、ここはユーフラテス川古代文明発祥の地です
5千年前の古代都市国家「マリ国家」の遺跡です
マリ王国はペルシャと地中海を結ぶ交易の拠点としてメソポタミアで最も栄えた国家でした
紀元前17世紀、町は破壊され、栄光の歴史を閉じました

どこから遺跡なのか、わからないけど、一応看板が立っている


4000年前の宮殿の内部 簡単な屋根が覆ってあるだけ

宮殿跡と言われても・・・

5000年前の道路跡


ここで出土したものはダマスカスやアレッポの博物館にあるとか
これは絵葉書 こんなのが出てきた


ドゥラ・ユーロポス遺跡
紀元前300年頃、アレキサンダー大王の後継者が軍事拠点として建てた砦の街


ユダヤ教の礼拝堂

見渡す限り全体が遺跡 奥がユーフラテス川


見学に来ていたシリアの中学生たち


ドゥラ・ユーロポス城壁



また、デル・エゾールのホテルに戻って、昼食
いよいよ、今回のハイライト、パルミラに向かいます
夕方に着く予定です


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中東三ヶ国の旅 シリア編 その2

2009/09/30 01:02
10月15日 8日目 シリア第2の都市アレッポに向かう
途中、十字軍の砦クラッシュ・デ・シュバリエに寄る

 世界遺産 4 クラッシュ・デ・シュバリエ
12〜13世紀の十字軍時代の要塞建築
保存状態が良く、世界遺産となった
城の入り口


堅牢な石組みの城壁


アーチがきれいな城の天井


城の上から見た山の中腹の村

助けてー

クラッシュ・デ・シュバリエの全景 
帰る時に霧が上がってきて、あっという間に霧の中に消えた

昼食は城の中のレストランでいただきました
霧の中に消えたお城をあとにアレッポに向かいます

ハマの大水車
紀元前10世紀から歴史に登場する古い街
緑が多い、水が豊富なんだろう、巨大な水車で有名だ




アパメア遺跡
2世紀頃に作られた列柱道路が2km近く残っている
周りにも遺跡が残っていそうだが、手つかずだ
パルミラに匹敵するシリア第2の遺跡だが世界遺産にはなっていない
私の97年版地球の歩き方にはまったく記述はない
10年前は知られてなかったってことか
最近は有名になってきて
日本のツアーもここを訪れるようになった

アパメアの案内板


列柱道路は正確に南北に通っている
南側の列柱


こっちが北側の列柱 う〜ん 並んでるね


ここから北に約1.8km 列柱道路を歩きます







ここの柱はらせん状の溝が彫られてる
アパメアだけのオリジナル意匠だ








もう、飽きた?まだ、半分かな




向こうにも遺跡の跡が・・・・・


画像

クリックで大きく表示します





北のはずれ、北門跡が見える


約1.8km歩いてきました
左右に600本づつ、1200本の石柱でした


石の柱に圧倒された、凄い!
夕刻、アレッポに着きました


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中東三ヶ国の旅 2008年10月 シリア編 その1

2009/09/27 15:34
10月12日 5日目続き
ローマ帝国の大都市ジュラシュ見学後、国境を越えて、シリアに入国
夕刻ボスラに到着
ホテルから城壁が見える、夕食前に歩いて見学

その前に、シリア概要から
ユフラテス川が流れるイラク側は古代文明発祥の地である
しかし、古代からここらあたりを支配する固有の支配者はいなかった
東西貿易の要衝であり、ダマスカス、ハマ、アレッポ、パルミラなどの都市は古い歴史を持っている
アレキサンダー大王が紀元前4世紀に中東地域を支配し、その後ローマ帝国に支配される
シリアの砂漠の都市パルミラは、シルクロードの交易路でもあったため、ローマ帝国と折り合いをつけて都市国家として成り立っていたが、しかし、ローマに楯ついたため、あっという間に滅んでしまった(3世紀後半)
その後、イスラムと十字軍との戦い、オスマントルコによる支配
20世紀に入って、第一次大戦で「アラビアのロレンス」とともに戦い、戦後アラブの統一が果たされるかと思いきや、列国の植民地政策(分捕り合戦)に翻弄される(シリアはフランスの植民地に)
イラク、ヨルダンとの国境線は直線(アフリカと同じ、帝国主義者による分捕り合戦の結果だ)
第2次世界大戦後独立を果たすが、数度の中東戦争で国力が疲弊する
現在もゴラン高原はイスラエルに占領されたまま
国際世論が占領を認めないため、PKO部隊の管理下に置かれている
ときどき、シリアへの返還話が出てくるが、まだ実現していない
そもそも、ゴラン高原はシリア高原と言ってたらしいが、イスラエルが占領後、ゴラン高原と名前を変えたとか
石油や天然ガスは相当の埋蔵量が見込まれているが、採掘の技術力と財力が不足していて本格的に採掘するまでに至っていない
まあ、観光資源は豊富にあるから、当分は観光立国かな

 世界遺産 2 古都ボスラ
ボスラは黒い町だ、中東最大級と言われるローマ劇場をはじめ建物が黒い玄武岩で建てられているため、町全体が黒いのだ
ここは古くから栄えた町だが、アレキサンダーの征服後大いに栄えた。さらに106年ローマ帝国の属国となり、繁栄の極みに達した。2世紀ごろのローマ時代の建物が多く残っている。現在は田舎の町って感じだけど

ローマ劇場 5000人収容したといわれている
コンサートなどで現在も使われている
結構音響効果がいいらしい

クリックで大きく表示します

舞台


舞台正面


劇場入り口の世界遺産の看板


ボスラの夕陽



10月13日 6日目
今日は、朝から徒歩でボスラの観光です

ローマ時代の町のメインストリート




街の中心部、建物跡の石柱



10月13日 ボスラの遺跡見学後、ダマスカスに向かう
着後昼食とってから市内見学

10月13日〜10月14日 ダマスカス市内見学
 世界遺産 3 古都ダマスカス
旧市街のレストラン 昼食メニュー
メインの羊はミンチにして、トマト、ピーマン、玉ねぎ、にんにくで煮込んである
ライスはバターライスでうまかった







スーク(市場)のメイン通り


スークを抜けた所、広場になっている


ざくろのジュース


ウマイヤド・モスク
女性は入る前に体をすっぽり包むベールを着用








迷路のような旧市街を歩く


添乗員さんがかつて住んでいたアパート
今も日本の青年が住んでいた


市街を見下ろすカシオンの丘
聖書によると世界で一番最初に殺人が起こったのがこの丘だそうな


ダマスカス、初日の夕飯は日本食、二日目はホテル最上階の回転するレストランでいただきました

明日はシリア第二の都市 アレッポに向かいます




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中東三ヶ国の旅 ヨルダン編 その3

2009/09/22 23:58
10月12日 シリア国境手前50kmのところにそれはあった
ジェラシュ ローマ時代の遺跡
なぜ??これが世界遺産じゃないの??ってほど、圧巻だ
2000年前のローマ時代の石造りの建造物がしっかりと形をとどめている
世界遺産の本には載ってないので、ご紹介します

ヨルダン ジェラシュの巻
バスを降りて売店を通り過ぎると 凱旋門が迎えてくれる


通り抜けて入り口に向かう、途中、左手に戦闘用馬車の競技が行われた競馬場がある
チケットを買って入ると 南門のゲート

門をくぐって最初に目にするのが石柱で囲まれた卵型の広場(フォーラム)で、卵の先が北門に続く、列柱通り 石の柱だらけの景色が広がる
広場にて


少し高いところ(南の劇場)から見たフォーラム


ジェラシュ フォーラム広場のパノラマ写真
広場の中心から撮影
クリックして360度回転型パノラマ写真をご覧ください


列柱通り、北門まで600m、石畳の両側に丸い石柱が続く



通りの真ん中にある大聖堂


まだまだ続く、列柱通り


階段を登っていくと


小高い丘にそびえ建つアルテミス神殿



丘から見た列柱通り
画像
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南の劇場
画像
クリックで大きく表示します


凄い列柱だらけだったけど、まだまだ上がありました
シリアに入ると、パルミラ以外にもアパメア遺跡がこれまた凄いのです
ここも世界遺産じゃなかった でも凄い
これから国境をこえて、シリアに入ります


360度スクロールソフトは Mr.murakami のJavaスクリプトです
瀬戸の夜景さんのホームページからダウンロードしました

ご覧になるにはブラウザのJava設定をオンにして下さい
下のボタンでスクロールのスピードを変えたり
パーンの方向を変えたりできます

瀬戸の夜景さんのホームページ
瀬戸の夜景


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中東三ヶ国の旅 ヨルダン編 その2

2009/09/21 11:12
10月10日 夕方 紅海の港町アカバに到着
ヨルダンが海に接するのはここアカバだけ
海岸線 数10km  唯一、貴重な港町

ツアーの皆さんは船で紅海サンセットクルーズに出かけたが、我らは紅海でひと泳ぎ




紅海の夕陽 夕陽の先はエジプト・シナイ半島


夕飯は中庭のレストラン


10月11日 左手にイスラエルの国境を見ながら死海に向かう

緩衝地帯の向こう側にイスラエルの建物が見える
その先の山はエジプト
画像
クリックで大きく表示します


死海で浮遊体験




ミネラルたっぷりの泥パック


このあと、泥を落としに死海に入って、塩水を呑んでしまった
辛いのなんのって、青酸カリを飲むとこんな感じではないかというくらい、のどが焼けてしまった レスキューの人に水をもらったが、ずーっと、ひりひりしていた
死海の塩水は海の10倍の濃さとか マイッタ マイッタ

こっちは安心のホテルのプール


10月12日 アンマンに戻って市内観光
アンマンは1929年にヨルダンの首都となった 
19世紀までは丘に囲まれた、田舎町だった
イスラエルとの戦争でパレスチナ難民が流入
さらにレバノンからも避難してきて、今の都市が出来た

丘の上のヘラクレス神殿跡




丘の上の城壁跡から見たアンマンの町


国立考古学博物館の展示物




ローマ劇場




市場の中のレストランでで昼食後、シリアのボスラに向かう
途中、ローマ帝国の大都市ジュラシュ見学 ヨルダン編 その3で紹介します

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法服の枷 沈黙を破った裁判官たち

2009/09/20 22:55
9月13日に放映されたNNNのドキュメンタリー番組
「法服の枷(かせ) 沈黙を破った裁判官たち」
昨年、名古屋高裁で「自衛隊のイラク派遣は憲法違反」との判決が出たが、この裁判官は退官前に最後の良心を発揮したと評判になった
逆に言えば最後の透かしっぺ
退官前でないと良心にそった本当の判決を書けないということだろうか
裁判官の人事は最高裁判所が握ってるからね
この番組見て、やっぱりって感じの内容だった
でも、この裁判官はまだ「沈黙」を守ってるよ

番組は、その35年前の「長沼ナイキ訴訟」で自衛隊は違憲」の判決を出した福島元裁判長の話
この訴訟は航空自衛隊の「ナイキ地対空ミサイル基地」建設のため、政府は国有保安林の指定を解除、住民が「自衛隊は違憲、したがって保安林解除は違法」と訴えた

番組は福島元裁判長50年間、50冊の日記帳を紐解きながら、判決に至るまでの上からの圧力(平賀書簡問題)や辞表提出と撤回、自分自身の葛藤を紹介する
そして、ニセコの山頂で判決文が浮かんでくる
1973年9月「長沼ナイキ訴訟」で自衛隊は違憲」の判決を出す
しかし、判決以後福島さんは裁判長の職を解かれ、地方の家庭裁判所を回ることになる

もう一人は、最高裁判例と異なる判決を出した安倍元裁判官
戸別訪問は公選法違反が最高裁の判断
しかし、彼は「戸別訪問は表現の自由であり、公選法は違憲」と最高裁の判断とは違う判決を出した
それ以降、違憲判決を出すようなやつはいらんとばかりに、あらゆる差別を受けてきたと告白
彼曰く「裁判長になりたかった」そうすれば若い裁判官とも意見を交わし合えるから
それをさせたくなかったんだろうね
しかし、地方の裁判所を回って
じん肺訴訟で時効の解釈変更で被害者の救済をした
えらい!
再審は最高裁で決まった刑を覆すことになるので、誰も手を出さないとも
「裁判官はわが身を考えて、被告人をひねりつぶす」
あの足利事件の菅家さんがDNA鑑定をやってくださいといっても一審の裁判長はやらなかったからね 被告人本人が言ってるのにだよ
これだよね、これじゃ、再審決定なんて出せないじゃん
裁判所のなかで、こんな恣意的な人事がまかり通っているんじゃあ、国や権力に逆らう判決が出るわけもない

裁判員制度の導入で少しはかわる?
いや、司法行政、司法官僚制度が変わらなければ裁判所は変わらないと思う
ここも脱官僚?脱司法官僚統制だってさ

三人目の丹羽裁判官はこの裁判員制度の問題点を挙げている
死刑判決を含む量刑の大きさを裁判員が決めなければならいこと
それと、あらかじめ裁判日程を決め、それに沿って判決を出さなければならないこと
それでは真実を見そこなったり、わかったふりして判決を出すようなことにならないかと
彼はかつて、志布志事件のような公職選挙法違反・買収事件にかかわった
町議が住民に10万円で接待したという、まったくの警察のでっち上げ事件を三年もかけて調べた
接待されたという(調書に書かれている)住民10数人を丁寧に調べ、検察調書を証拠として認めず、無罪判決を言い渡した
えらい!
でも、今の裁判では、上からいつまでやってんだ早くやれと言われて
えいやって判決出すんだろうね
そうしないと上司から高い評価をもらえないから
三人のうちの誰かが言ってた 「裁判官の良心は消え、被告人は泣く」って

そもそも、1970年代前後から憲法擁護をかかげて活動していた青法協に対して「偏向」のレッテルを貼って攻撃し、宮本判事補再任拒否などで見せしめをしてきた
それが司法権力の戦後民主主義に対する巻き返しだったんだよね
結果、上だけを向いて判決を書く裁判官ばかりになった 残念!斬

ほんとにいい番組だけど、目立たない時間帯にやるんだよね(日曜の深夜 25:50〜)
もちろん番宣もしないし、テレビ欄見ててもついチェックを忘れてしまうんだよね
今はHDDレコーダーがテレビ番組情報からキーワード検索してくれるから、「ドキュメント/ドキュメンタリー」で検索してます、見逃すことなくなった

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中東三ヶ国の旅 2008年10月 ヨルダン編 その1

2009/09/20 17:16
一年前に行った中東三ヶ国 ヨルダン、シリア、レバノンの旅の報告です
8つの世界遺産を訪問

それでは、ヨルダン概要から
今回の三ヶ国はローマとエジプトの陸の交通路で、それはそれは古い歴史をもってます
なんせ、旧約聖書にたびたび出てくる土地柄なのです
(って言ったて、アダムとイブからモーゼまで??どんだけ長いの?)
ヨルダンは砂漠地帯でアラビアのロレンスの舞台になったところ
土地は低く、高い山はない、逆に低すぎて死海のように海抜-400mの窪みになっている
石油は採れない
海は南のはずれでちょとだけ紅海に面している、海を隔ててすぐエジプト・シナイ半島だ
遺跡は何と言ってもぺトラ遺跡が有名(今回の目玉の一つ)
ヨルダンは王国、立憲君主制をとっている国王が内閣を任命する
正式国名は ヨルダン・ハシミテ王国
紅海から死海、ヨルダン川まで西にイスラエルとの国境が300km続く、ヨルダン川西岸は中東戦争でイスラエルに盗られた
イラクと仲が良かったが湾岸戦争で国際的経済制裁があって、とばっちりを受ける
94年にイスラエルと休戦、現在に至る

では、旅の開始です
成田から関空(23:15発)そして、ドバイ(4:45着 8:00発)を経由してにヨルダンのアンマンに入る
ドバイの空港ではさっそくデーツ(ナツメヤシの実)をゲット
これがうまいいんだ、旅の友だね


10月8日 1日目 ヨルダン入国
9時30分アンマンに着、着後すぐにぺトラに向かう
途中、旧約聖書に出てくるネボ山を見学
モーゼがここからエルサレムの地を眺めた、しかし
神の怒りをかった身ゆえ、先に進めなかったという
山の上に教会がありモザイク絵が展示されている


4世紀にはフランシスコ修道会の教会があった


パウロ2世が来た記念碑


夕方、ぺトラに到着、遺跡の入り口そばのホテルに宿泊

10月9日 2日目 世界遺産 1 ぺトラ遺跡

ぺトラ遺跡は観光写真で有名な崖を切り抜いた神殿エル・カズネが有名だが、その先にも岩山をくりぬいた建物群や円形劇場、列柱道路、凱旋門、礼拝堂などが続き、岩山をくりぬいて造った狭い道を上っていくと、エド・デル(修道院跡)に着く
広い遺跡だ・・・知らなかった

入口からすぐにある、4つのオベリスクを持つ岩の墓


そして、岩の裂け目の細い道(シク)を行く
崖の高さは100mぐらいあるかな




ついに裂け目からエル・カズネが見えてきた


エル・カズネ=紀元前1世紀ごろ建設、神殿? 宝物殿? 霊廟?




いよいよ未知のぺトラ遺跡に向かう


かつて砂漠を疾走していたベトウインの人たち
定住政策によって、今はロバや馬車に人を乗せたりして、観光で生活している












狭い岩山の道を行く


エド・デル(修道院跡)
エル・カズネより一回り大きい 1世紀中ごろの神殿




さらに先を行くと岩山の頂上に着く
山と渓谷の景色が開ける


今日は朝から夕方まで ぺトラ遺跡を 28,000歩、歩きました
夕食後、ぺトラ遺跡の回廊がろうそくで飾られるキャンドル・ナイトに出発
懐中電灯、写真撮影禁止につき写真はなし
一日かけてのぺトラ遺跡見物でした おやすみ

10月10日 3日目
紅海の港町アカバに向かう、
途中、映画「アラビアのロレンス」の舞台となったワデイ・ラムを四輪駆動で砂漠を疾走




岩の隙間を通って


岩絵を見る


お昼は砂漠の中のレストランで




昼食後、イスラエル国境を右に見て、紅海の港町アカバに向かう


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ゴーギャン展

2009/09/15 18:44
国立近代美術館でやってる ゴーギャン展 行ってきました


いつの頃からか、誰の絵が好き?って聞かれた時
惑わずゴーギャンと答えるようになった
出会いが、モームの「月と六ペンス」なのか、絵が先なのか、今は思い出せない
たぶん、絵を見て、画家の人となりを想像するほど、絵に興味があった訳ではないから、小説を見て、そのモデルであろうゴーギャンに興味を持ったんだと思う

1974年(35年前)の本


旅に出て各地の美術館でゴーギャンとピカソに出会うとなんか得した気になる
最近はいろんな画家の絵を見るようになってきたけど
やっぱり、ゴーギャンは別格だね
最初に生ゴーギャンを見たのは22年前の旧ソ連の旅で、エルミタージュとプーシキン美術館だった
今回、版画を除くと24点ほど集まっている
最大の目玉は「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」
幅3m以上の大作だ
テレビでも会場でもこの大作の解釈をいろいろ言ってたが、まあ見て感じればいいんだよ
もう一つの目玉、「かぐわしき大地」は8月一杯で大原美術館に帰っちゃった
2度目のタヒチでの作品はジンとくるね
あと、自画像と赤いマントの男(画集では魔術師)はいかったね


突然ですが、2005年正月タヒチに行きました
レンタカーでタヒチ島を一周して、ゴーギャン博物館に入った


タヒチにはゴーギャンの絵は残っていない
木彫りの彫刻は残っているが・・
壁には色褪せたレプリカが飾ってある

ここは美術館ではなくて博物館ですのであしからずって感じ
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沖田国賠訴訟が結審

2009/09/08 22:32
最高裁で審理不十分で高裁に差し戻された沖田国賠訴訟が結審した
判決は11月26日と決まった

沖田さんはちょうど10年前、電車の中で電話していた女に「電車の中で電話するんじゃない」と注意した
女はその腹いせに駅前の交番に「痴漢されました」と申告
その場で逮捕され、そのまま21日間にわたって身柄を拘束された
しかし、嫌疑不十分で不起訴処分になった
その後、沖田さんは違法な逮捕をした警察と不当な身柄拘束と取り調べをした検察そして嘘の被害申告をした女性を相手取って賠償請求を起こした
最高裁は地裁・高裁に続いて警察と検察についてはその責任を否定する判断をした
しかし、女性については「審理不尽、法令違反」があるとして、女性に関する部分で高裁に差し戻した
最高裁判決は女性が電車の中で携帯電話をしていた相手の男性の供述内容を検討し、「目撃証人に準ずる立場にある唯一の人物」の供述と女性の供述には「看過しえない齟齬がある」と指摘し、電話の相手である男性の供述と食い違っている女性の供述のみを信用し、男性の供述と合致している沖田さんの供述を否定し、痴漢行為を認定したのは「審理不尽の結果、結論に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある」として高裁差し戻しになった

これまでの数々の痴漢冤罪事件では、被害者の申告のみを信用し、犯人とされた男性の供述に耳を傾けない警察・検察の取り調べが痴漢冤罪を生んできた背景になっていた
今回の最高裁判決は安易に被害女性の「申告」に依拠せず、客観的な証拠を重視することの重要性を指摘していて、痴漢冤罪の根絶に向けた重要な一歩となるものです
(この判決のあと、防衛大学教授の痴漢冤罪事件が最高裁で無罪を言い渡された)

高裁での差し戻し審一回目は7月2日
(入院中で傍聴に行けなかった)
女が車内で電話していた相手の男性が証人に立った
男性は「変な人が近づいてきた」と女が話した後に「電車の中で電話してはいけない」と注意する男の声が聞こえたと証言した
また、「離れてよ」とか「変なことして何言ってんのよ」などの言葉は聞いていないとも証言しました
これらは沖田さんの供述と合致しています

二回目の弁論は8月27日
双方の最終弁論で結審となった
沖田さん側は目撃者に準ずる電話の相手の証言が沖田さんの供述と合致していること
さらに、「身長170cmで7cmのヒールの靴を履いている女性の被害部位に沖田さんの股間が届かないこと」や「胸に肘鉄をしたというが身長差からあごのあたりになること」さらに「満員でもない電車の中で背伸びをしながらの痴漢行為は不可能」など地裁・高裁の事実認定の誤りを弁護士さんが指摘して、客観的な事実認定を行って公正な判決を求めました
最後に沖田さんが刑事で不起訴になったのに民事で痴漢行為があったとされて、悔しい思いをしてきた、最高裁で訴えが認められやっと汚名を晴らすことができたと、この10年間の思いを訴えました
相手側は「痴漢行為を告発した女性が損害賠償や名誉棄損で訴えられたら、痴漢を訴える人がいなくなる」などと問題のすり替えに終始しました

結審後の報告集会


今度こそ女の「うそ申告」にキッパリした判決を出してもらいたい
判決は11月26日です
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